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ジョン・ウェインの
アラモ
おまけ:大作名作に割を食った西部劇名作『荒野の七人』もアラモ砦の史実と英雄ディビー・クロケットとジョン・ウェイン監督・主演による映画「アラモ」の概説.

 

ジョン・ウェインが製作、初監督及び主演を兼ね、師ジョン・フォードが監修し、ディム・ティオムキンの音楽もヒットした。

ウェインは、1200万ドルの私財を投げ打って勝負に出た。
ウェイン本人も若い頃から「アラモの戦い」を映画化するのが夢だったが実現せずかなりの入れこみ様だったという。
アラモの砦とサン・アントニオのオープンセットに150万ドルを投じた。
クライマックスの玉砕シーンに81日間を費やしスタッフとエキストラ4000人の食事によって25万ドルが費やされた。
結論から云うと興行的に大失敗だった。
1960年度第33回アカデミー賞に作品賞として受賞した作品はアパートの鍵貸します」(ビリー・ワイルダー監督)だった。
アラモのロケハンに訪れた時(ペルー)ジョン・ウェインの最後の妻となるビラパレットと知り合った事だけは、収穫だったかも知れない。

★反感をかう程の宣伝

通常、スタジオやアーティストがアカデミー賞候補になる為に新聞、雑誌等のメディアを使って我が作品に一票をと宣伝活動を展開するのは、とりたてて珍しい事でもなんでもないところだが、1960年(昭和35年)第33回アカデミー賞においては、批判の矢が放たれた。
ロス・アンゼルス・タイム紙の映画評論家ディック・ウィリアムズはこの度の「アラモ」の広告に対して「投票者の愛国者精神が問われていると云った露骨な宣伝活動は非難されるべきだ」と批判した。
例えば、アラモの砦をバックに「今年オスカーは、世界に向けて何と云うか」というコピーを配布した新聞広告。
そこには、『「もし今年アラモを投票しなければ誇り高きアメリカ人の精神が疑われるかも知れない』という仄めかしがあった。
この「アラモ」には、通常の作品の10倍以上のアカデミー対策費が費やされていたと云われている。

助演男優賞を狙ったチル・ウィリアムズまで「我々『アラモ』の出演者一同は、テキサス人がアラモで生き長らえたいと願った以上にチル・ウィリアムズの受賞を切望する」と云ったやりすぎ広告を出して世間から顰蹙をかった。
 さすがにアカデミー関係者の間でも黙認出来なくなり、『過剰なまでの票集め』を自粛する様に呼びかけた。
結局、空前の制作費を投じた(ジョン・ウェインの私財)、超大作「アラモ」は、最優秀作品賞にノミネートされるも受賞には、至らなかった。
宣伝費を殆ど使わなかった『アパートの鍵貸します』が栄光に輝いた。
また、助演男優賞に輝いたのも『スパルタカス』(スタンリー・キューブリック監督)の金銭に汚いながらもどこか憎めない奴隷商人役のピーター・ユスティノフが受賞した。
結局、この時受賞したのは、わずかに『最優秀音響賞』のみだった。

この1960年には、西部劇史上最高の傑作の一つである『荒野の七人』が登場した年でもあったが、大作、名作の煽りを受けて『映画音楽賞』にノミネートされるのみだった。
この『荒野の七人』からは、ウェスタンマニアの方はご存知の通り、スティーブ・マックィーンチャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン達が大ブレークする。
主役のユル・ブリンナは、この頃既に『王様と私』(1956年ウォルター・ラング監督)でアカデミー主演男優賞を獲得した名優であった。

 

監督ジョン・ウェイン
製作ジョン・ウェイン
脚本ジェームス・エド・グラント
撮影ウィリアム・クロージア
音楽ディムトリ・ティオムキン
出演ディビイ・クロケット・・・・・・・・・・・ジョン・ウェイン
ジム・ボウィ・・・・・・・・・・・・・・・・・リチャード・ウィッドマーク
ウィリアム・トラビス・・・・・・・・・・・ローレンス・ハービー
スミッティ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・フランキー・アバロン
サム・ヒューストン・・・・・・・・・・・・リチャード・ブーン
ビーキーパー・・・・・・・・・・・・・・・・チル・ウィルズ
ジェームス・バトラー・・・・・・・・・・パット・ウェイン
フラカ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・リンダ・クリスタル
ミセス・ディッキンソン・・・・・・・・・・・ジョーン・O,ブライエン
アルメロン・デッキンソン・・・・・・・ケン・カーティス
アカデミー最優秀音響賞受賞(ゴードン・E・ソーヤー)       
アラモの各部門ノミネート及び1960年第33回アカデミー賞リサルトは、こちら
アメリカ開拓史に燦然と輝くアラモ砦の英雄ディビー・クロケットジョン・ウェインが称えたヒーローとは、どんな男だったのだろうか

※ディビークロケットの半生
ディビイ・クロケット
(Davy Crockett)
1786年8月17日〜1836年3月6日
アメリカ テネシー生まれ
(テネシーの州昇格は、1796年に
ノースカロライナから分離して州となった。)
↑ジョン・ウェイン扮する
ディビー・クロケット
ディビー・クロケットは、1786年、まだアメリカの州として組織を成していない頃のテネシー東部lの田舎に生まれた。
父親は農夫をしたり、酒場を開いたりしていたが、失敗ばかりだった。
ディビーは、開拓地の子供の常として早くから農場の仕事を手伝っていた。
12歳の時にはある男の牛運びの手伝いとしてヴァージニアまで400キロも歩いて行った事もある。仕事が終わってからも雇い主は、彼を力ずくで引き止めて働かせようとした為、彼は夜中、膝まで埋まるような雪の中を歩いて逃げたという逸話もある。翌年、学校に通わされたが、彼はきれいさっぱりすっぽかし、父親の罰せられる事を恐れ家出した。
2年後に戻ってきたが、今度は、父親の借金を返す為にあちこちの農家で働かされた。
その間しだいに、鹿、狼、あらい熊などの猟をする腕も身につけていったようだ。
18歳の時、教育を受けなければウダツが上がらない事を悟り、ようやく、学校に入る決心をした。
そして、雇い主と交渉して、一週間に2回働いて4日学校に通う事を認めらい半年通学した。
しかし、彼は知識欲よりも恋する心の方が勝っていた為恋人欲しさに退学しその思いの実現に打ち込んだ。
後年、彼は、この半年間が学校教育の全てだったと自分で述べている。)
そして、1806年、20歳の時、とうとうメアリー・フィンレーという女性を射止め結婚。貧しいながらも独立の生活を始めた。
これ以後、彼は家族と共に新しい土地を求めてしばしば、移転している。
彼は、西へ進み、辺境、辺境へと移り住んだようである。
それが貧しい現実を逃れて発展を志す者の当時ごく普通に取られた選択であった。
後のクロケットの伝説の多くがミシシッピ川に関係しているのは、まさにそういった移転の行きついた先がこの大河に接する土地だったからである。
そして、ここが彼の政治上の地盤ともなった。

前に記述したようにクロケットは、1813年〜1814年にかけて、アンドリュー・ジャクソン将軍の下でクリークインディアンとの戦争に参加した。
スカウトとして活動したらしい。
鉄砲の腕も優れていた為、地位は軍曹だった。帰還後の1816年には地方の民兵隊の中尉にも選ばれ、1818年には大佐に昇格した。これによりクロケットは生涯、大佐の称号をもって呼称される事になる。
また、1817年には、治安判事にも選ばれた。
相当な人望があったと思われる。しかし、この間彼は、妻を病気で失い、1816年エリザベス・パットンと再婚している。彼女は、コブつきであったが、多少とも土地をもち、社会的な実務の能力をもち、この再婚はクロケットにとっては、地位の向上を意味したようである。彼は最初の妻との子と合わせて子沢山になってしまった。

 

1821年、35歳のディビー・クロケットは、貧しく無教育で粗野な農民である事をむしろ、逆手に取り、辺境の農民の支持を集めてテネシー州議会に当選した。そして、2期務めた後、1825年には連邦議会に打って出た。その時は失敗したが、1827年には下院議員に当選、1831年までに2期務めた。

すでに述べたように最初クロケットは、アンドリュー・ジャクソンの熱烈な支持者だった。
かつて軍人としてのその指揮下で戦っただけではなく、自分と同じテネシー出身で民衆の政治家というジャクソンにクロケットは、共鳴するものを感じたからである。
ところが、ジャクソンとクロケットの間には以外に早くから亀裂が生じた。
一つには、ジャクソンは、貧しい生まれには違いないが実は豊かな農園主となりナッシュビルの近くに「ザ・ハーミテージ」(仏語:隠者の家)と名付けられた優雅なマンションを建てて住んでいる様な人だった。
生活の態度も信条もクロケットとは隔たりがあった。
加えて同じテネシー出身の政治家といってもジャクソンは、中部テネシーのジェントルマン階級の考えを身につけていたのに対しクロケットはもっと辺境である西部テネシーの田舎開拓農民の利益を代弁していた。
それでも「議員一年生」の間はクロケットも自分を抑えてた。
1829年に再び当選すると自身を得たのが公共の土地を開拓農民に安く提供するという彼の数年間の主張がジャクソン政権によってはばまれたところからはっきりと彼に衝突するl様になった。
クロケットが政治に素人同然で激情型だった事も両者に懸隔を大きくしたのかもしれない。1831年選挙でクロケットは、ジャクソンとその党を公然と烈しく批判した。
その為落選してしまった。するとこれを今度は利用しようとする者が現れた。
ホイッグ党の策士達である。
ホイッグ党は正式に民主党に対抗し1834年に結成されたものであるがそれ以前からジョン・クインシー・アダムスなどを指揮者として資本家や地主階級を地盤とし活動している政党である。

しかし、ジャクソニアン・デモクラシーの勢力に押し捲られていた。
1832年の大統領選挙でもジャクソンが圧勝して再選された。危機感は大きかった。
そこで目をつけたのがディビー・クロケットである。
庶民の代表である彼を味方に取り込めれば民主党のイメージを傷つけホイッグ党こそ民衆の政党だと主張する事が出来る。
または、次の大統領選挙に適当な候補者がいないからクロケットをその可能性のある一人として盛り立てるのも面白いと政治家達はそんな策略をもってクロケットの宣伝に力を入れた。
ホイッグ党に利用され、ジャクソン及び民主党を敵にしたクロケットは結局それが致命的となり、1835年の選挙でまたも落選してしまった。
ホイッグ党は、結局彼に見切りをつけクロケットはとうとう政治をみきった。
そして、同年11月彼はテネシーを背にし、西のテキサスへ去る事にした。
クロケットは別れに際し「お前等、(投票者)みんな地獄へ行くがよい。俺はテキサスへ行く」と述べたという。

ケンタッキーの土地を奪われて西に去ったダニエル・ブーンの心情と似ているかもしれない

※アラモへの道〜英雄誕生、その死。〜

1836年2月クロケットは、テキサス州南部のサンアントニオについた。当時はテキサスは、メキシコ領だったが、アメリカから入植した者たちは「テキサスの自由の為」と称して独立運動をおこしていた。
クロケットは、これに共鳴してテキサスへ行った訳ではないらしい。
行ってみて独立運動に出会い名誉挽回と富獲得のよいチャンスと見極めこれに加わる事にしたらしい。
そしてアメリカ人100数十人が立て篭もるアラモ砦の応援に駆けつけた。そして3月初旬、サンタ・アナの率いる5000名のメキシコ軍がこの砦を包囲攻撃した。

3月6日遂に砦は陥落しクロケット達は全滅したがこの戦いで時を稼ぎ「アラモを忘れるな」の合い言葉のもと、アメリカ人側の結集が成された事が、6週間後、サム・ヒューストンによるサンタ・アナ軍の撃破と独立の達成に繋がったとされている。

最近の研究書でダン・キルゴア著 「ディビーはいかにして死んだか」(1978年)によると、クロケットは、戦いながら死んだのではなく、捕虜になって処刑されたのだという。
その事を当時も一部に伝えられたが、ディビーのヒロイズムを信じたい向きには、無視又は抹殺された。
もっとも、彼が勇敢に戦った事も事実だった筈である。

いずれにしても、「自由の為」の彼の死はディビー・クロケットの名声を決定的にした。
その死の直後、彼が書いた形の「クロケット大佐のテキサスにおける手柄と冒険」と称するでっち上げ本まで出版されたという。
こうして、奥地から出てきた農民兼猟師上がりの素人政治家は、その野人的な庶民性を自分自身も政治的謀略家達もエクセントリックなまでに強調して人気取りに成功したり失敗したりしていたが一人自由を求めて西へ去り、自由の為に玉砕したという事により一挙に崇高さを加え、現実的なレベルでの政治屋を超えた神話的な国民的英雄にしたてあげられる事になったのである。

 

1960年第33回アカデミー賞主要部門結果 戻る
最優秀作品賞アパートの鍵貸しますノミネートアラモ
   エルマーガントリー
   息子と恋人
   サンダウナーズ
    
主演男優賞バート・ランカスター(エルマーガントリー)ノミネートトレバー・ハワード(息子と恋人)
   ジャック・レモン(アパートの鍵貸します)
   ローレンス・オリビエ(The entertainer)
   スペサー・トレーシー(Inherit the wind)
    
主演女優賞エリザベス・テーラー(バターフィールド8)ノミネートクリア・ガーソン(ルーズベルト物語)
   デボラ・カー(サンダウナーズ)
   シャーリー・マクレーン(アパートの鍵貸します)
   メリナ・メルクーリ(日曜日はダメよ)
    
助演男優賞ピーター・ユスチノフ(スパルタカス)ノミネートジャック・クラッシェン(アパートの鍵貸します)
   サル・ミネオ(栄光への脱出)
   チル・ウィルズ(アラモ)
   ピーター・フォーク(殺人会社)
    
助演女優賞シャーリー・ジョーンズ(エルマーガントリー)ノミネートグリニス・ジョーンズ(サンダウナーズ)
   シャーリーナイト(階段の上の暗闇)
   ジェネット・リー(サイコ)
   メアリー・ユアー(息子と恋人)
    
監督賞ビリー・ワイルダー(アパートの鍵貸します)ノミネートジャック・カーディフ(息子と恋人)
   ジュールス・ダッシン(日曜はダメよ)
   アルフレッド・ヒチコック(サイコ)
   フレッド・ジンネマン(サンダウナーズ)
    
脚本賞【脚色】エルマーガントリー(リチャード・ブルックス)ノミネートInherit the Wind(ネイサン・ダグラス)
   息子と恋人(ギャビン・ランバート他)
   サンダウナーズ(イザベル・レナード)
   Tunes of Glory(ジェームス・ケナウェイ)
    
脚本賞【オリジナル】アパートの鍵貸します(ビリー・ワイルダー)ノミネートThe Angry Silence(リチャード・グレグソン他)
   よろめき珍道中(ノーマン・バナマ他)
   24時間の情事(マルグリット・デュラス他)
   日曜はダメよ(ジュールス・ダッシン)
    
撮影賞(白黒)息子と恋人(フレディ・フランシス)ノミネートアパートの鍵貸します(ジョーゼフ・ラッセル)
   よろめき珍道中(チャールズ・ラング)
   Inherit the Wind(アーネスト・ラズロ)
   サイコ(ジョン・L・ラッセル)
    
撮影賞(カラー)スパルタカス(ラッセル・メティ)ノミネートアラモ(ウィリアム・H・クロージャー)
   パター・フィールド8(ジョーゼフ・ルッテンバーグ他)
   栄光への脱出(サム・リービット)
   ペペ(ジョー・マクドナルド)
    
美術監督 装置賞【白黒】アパートの鍵貸しますノミネートよろめき珍道中
   サイコ
   息子と恋人
   底抜け宇宙旅行
    
美術監督 装置賞【カラー】スパルタカスノミネートシマロン
   ペペ
   ナボリ湾
   ルーズベルト物語
    
★音響賞アラモ(ゴードン・E・ソーヤー)ノミネートアパートの鍵貸します(ゴードン・E・ソーヤー)
   シマロン(フランク・E・ミルトン)
   ペペ(チャールズ・ライス)
   ルーズベルト(ジョージ・R・グローブス)
    
編集賞アパートの鍵貸しますノミネートアラモ
   Inherit the Wind
   ペペ
   スパルタカス
    
特殊効果賞タイム・マシンノミネート最後の航海
    
劇・喜劇映画音楽賞栄光への脱出(アーネスト・ゴールド)ノミネートアラモ(ディミトリ・ティオムキン)
   エルマーガントリー(アンドレ・プレビン)
   荒野の七人(エルマー・バーンスタイン)
   スパルタカス(アレックス・ノース)
    
ミュージカル映画音楽賞我が甥は終わりぬ(モーリス・ストロフ)ノミネートBells are ringing(アンドレ・プレビン)
   カンカン(ネルソン・リドル)
   恋をしましょう(ライオネル・ニューマン)
   ペペ(ジョニー・グリーン)
    
歌曲賞日曜はダメよノミネートよろめき珍道中
   ペペ
   アラモ「遥かなるアラモ」
   High Time
    
衣装デザイン賞【白黒】よろめき珍道中ノミネート日曜はダメよ
   レッグスダイヤモンド
   賭場荒らし
   処女の泉
    
衣装デザイン賞【カラー】スパルタカスノミネートカンカン
   誰かが狙っている
   ペペ
   ルーズベルト物語
    
 他略 短編賞 ドキュメンタリー賞等  

大作、名作の影に隠れた西部劇史上最高の傑作 荒野の七人 戻る

荒野の七人 The Magnficent Seven 1960年 アメリカ
監督ジョン・スタージェス
製作ジョン・スタージェス
脚本ウォルター・ニューマン ウィリアム・ロバーツ
原作黒澤 明
撮影チャールズ・ラング
美術エドワード・フィッジェランド
録音ジャック・ソロモン
音楽エルマー・バーンスタイン
特殊効果ミド・ライス
出演クリス・・・・・・・・・・・ユル・ブリンナー
ビン・・・・・・・・・・・・スティーブ・マックィーン
ブリット・・・・・・・・・ジェームズ・コバーン
O,ライリー・・・・・チャールズ・ブロンソン
リー・・・・・・・・・・・ロバート・ボーン
チコ・・・・・・・・・・・ホルスト・ブッフホルツ
ハリー・・・・・・・・・ブラッド・デクスター
カルベラ・・・・・・・イーライ・ウォラック
長老・・・・・・・・・・ウラジミール・ソウコフ
ベトラ(村の娘)・・ロゼンダ・モンテロス
解説西部劇ファンなら知らない者がいない位有名な“七人の侍”のアメリカ版リメーク。
“王様と私”で有名なユル・ブリンナーが“七人の侍”を観て感動して、『OK牧場の決闘』(1957年)『ゴーストタウンの決闘』『ガンヒルの決闘』(1959年)で知られるジョン・スタージェスに監督を任せた。
当時は、ジョン・スタージェスは、『ジョン・フォードの後継者』と称え挙げられてただけに、『七人の侍』を見事に“西部劇”に蘇らせた。
ユル・ブリンナーをリーダーとした七人のガンマンの集団での活躍は勿論、個々のキャラクターを活かした演出も見事。

残念ながら(?)1960年は、上記の『アラモ』『アパートの鍵〜』『スパルタカス』『栄光への脱出』『日曜日はダメよ』等の大作名作揃いの為か、アカデミー賞の各部門においては、わずかに“映画音楽賞”のみにノミネートされるだけだった。
エルマー・バーンスタインの打楽器を基調として小気味のよいメインタイトルは、西部劇史上に残る名曲。
“西部劇音楽全集”系のCDには必ず収録されている。

ストーリーメキシコの山奥の寒村は、山賊カルベラ(イーライ・ウォラック)一味の強盗団に収穫期になると襲撃され悩まされてきた。
村民達は、意を決して抵抗する事を決意。
しかし、銃を持った大勢に立ち向かう術は無い。
そこで長老の提案により、“用心棒”を雇う事になった。
町に出た村人の“用心棒スカウト3人組”は、まずクリス(ユル・ブリンナー)の男気溢れる行動と早撃ちに惚れ込む。

クリスをリーダー格に様々な用心棒達が集まってくる。

ビン(スティーブ・マックィーン)・・・・・・・・早撃ちで一団のサブ・リーダー的存在。
ブリット(ジェームズ・コバーン)・・・・・・・・寡黙な拳銃とナイフ投げの名人。
O,ライリー(チャールズ・ブロンソン)・・子供好きで“訳有りの”賞金稼ぎ。
ハリー(ブラッド・デクスター)・・・・・・・・・守銭奴な“賞金稼ぎ”でクリスの友人。
リー(ロバート・ボーン)・・・・・・・・・・・・・・南北戦争の脱走兵
チコ(ホルスト・ブッフホルツ)・・・・・・・・・本当は、農民でガンマンに憧れる若者。


食事と寝床と月給20ドルの報酬で脛に“キズ”を持つ男達が集まった。
いよいよカルベラ一味との血戦が始まる!

 

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