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ジョン・ウェインの映画界入りとジョン・フォード監督との出会い

ジョン・ウェインの映画界入り
を決定づけさせ『駅馬車』(1939)で大ブレークさせたジョン・フォード
20代前半のジョン・ウェインまだあどけなさが残る。
後の巨体は想像出来ない

1.ジョン・ウェインの映画界入り

南カリフォルニア大学のフットボールコーチを通して映画監督ジョージ・マーシャルから雑役夫のアルバイトを紹介してもらったウェインは、更に美味しいアルバイトが巡って来た。そのアルバイトが後のジョン・ウェインの人生を大きく変える事になる。

32歳の若手監督ジョン・フォードは、新作『マザー・マクリー』の撮影にはいっていた。
その時のバイト料は、今となっては、わからないが、とにかくジョージ・マーシャル監督からジョン・フォード監督の側への雑役夫となった。

ジョン・ウェインとジョン・フォードの初遭遇のエピソードは、幾つかあるがここで紹介してみよう。中には、『まじかよ?』って思えてしまうモノもあるが。

1.一般的に云われている説としては、『マザー・マクリー』のスタジオセットで積雪のシーンがあるのだが、若きウェインは、スタッフが昼食を食べに出掛けて行ったところまだ積雪シーンの続きの撮影があるのにもかかわらず、知らずに全部雪を片付けてしまった。昼食から戻って来たジョン・フォード監督は、驚いて『まだ撮影が残っているにに、貴様、なんて事するんじゃあ!!』と若きウェインに怒鳴りまくったと云う。
ジョン・ウェインは、大きな体を小さくしてただただ平謝りでベソをかいていたがジョン・フォードもさすがに気の毒に思えてきて『しゃーない。晩飯でも食いに行こう。』と連れ出して晩御飯をご馳走した事から始まったと云う説。

2.これは、ちょっと信憑性に欠ける話だが、スタジオで材木を肩に担いでいたウェインが誰かに呼び止められ、振り向いたはずみで材木が弧を描いてジョン・フォードの頭にゴ〜ン!となったのが、きっかけと云う説。
あたかも“ドリフのコント”か“吉本新喜劇”の様なシチュエーションである。(笑)

3.映画界入りする前のジョン・フォードは、アイルランドの高校の部活でジョン・ウェインと同じくフットボール部でならしていたのだが、強豪南カリフォルニア大学のスター選手
であるジョン・ウェインにタックル合戦を挑んだと云う説。
プロからお呼びが掛かっている193センチで20歳の若者に田舎の高校の部活動でならした32歳のおっちゃんが勝負を挑むあたりは、“変人”と呼ばれていたジョン・フォード
ならではのエピソードと云えよう。だからまともにやりあっては、とても勝負にならなかった。しかし、ウェインは、監督に
花を持たせずに『ズド〜ン!!』。当然周りで冷やかし半分に見ていたスタッフ達は、凍りついた。しかし、打算の無いジョン・ウェインのタックルに対して吹っ飛ばされたジョン・フォードは、愉快そうに笑い出したと云う。

まあ、恐らく3番が最初で1番は、その後のエピソードだと思う。

ジョン・ウェインは、後年エキストラとして映画界入りしたと語っているが本人もデビュー作は、忘れている様である。
諸説ある中で『マザーマクリー』(ジョン・フォード監督1928年製作)『最後の一蹴』(ミラド・ウェブ監督1927年製作)かと云われているがどうやら、最新の信憑性ある情報では『Brown of Harvard』(大学のブラウン)(ジャック・コンウェイ監督1926年がデビュー作の様である。

映画俳優

映画デビューした事によってウェインは、幾つモノ草鞋を履く様になった。
大道具係り、衣装係り、照明係り、そして映画のエキストラ俳優である。
しかし、その頃のウェインは、映画俳優になる気などサラサラ無かった。
フットボールの全米オールスターに選抜されてプロ入りする事が目標だったからである。

しかし突然の不幸が襲い掛かる。友人とサーフィンを楽しんでいた時、高い波に浚われて砂浜へ叩きつけられてしまうと云う事故に遭った。
肩の筋を壊してしまい全米オールスターの夢も絶たれてしまった。

大学を中退したウェインは、またもや進路先を考えなければならなかった。
仕方なくジョン・フォードの下で大道具係り等のアルバイトで生計を立てていた。

そんなある日、いつもの様に道具を持ってセッティングしていたところ、そこに居合わせたラオール・ウォルッシュ監督の目に止まった。
ウェインの悠々とした歩き方が気に入ったと云う。
ラオール・ウォルッシュは、静かでゆったりとした歩き方が好きでいつも俳優達に要求していたが、目の前に現れたその若者の歩き方は、まさにピッタリだった。
ウェインがジョン・フォードのスタッフだと知るや、仁義を通しに行き、ジョン・フォオードはラオール・ウォルッシュにウェインの事を褒め称え新作映画の主演に推薦した。
ラオール・ウォルッシュは、主役には、あまりギャラの高くない新人を器用するつもりで、当初は『狼の唄』(1928年)や『バージニアン』(1929年)で売出し中のゲーリー・クーパーも候補の1人だった。しかしゲーリー・クーパー自身、幌馬車隊スカウトの役に難色を示した為、他にブロードウェイの俳優を何人かテストしてみたが適任者は見つからなかった

ジョン・ウェイン”誕生〜初主演映画『ビッグ・トレィル』

フォックス撮影所の製作部長ウィンフィールド・シーハンは、芸名を与えた。
『君の本名のマリオン・モリスンは、スターらしくない。第一、マリオンは女の様だ』と言い、『君は、どう見ても“ジョン・ウェイン”と云う感じだ。』と何やら神懸り的に芸名を与える事になった。
この『ビッグ・トレイル』は、ウェインの初主演作であると同時に世に“ジョン・ウェイン”の名前が出た最初の作品でもある。共演者はタイロン・パワー、マーガレット・チャーチル、アイアン・キース等の豪華メンバー達だった。

結論から云うと『ビッグ・トレイル』は興行的に大失敗だったそうである。
当時としては空前の制作費200万ドルを投じた大作だったのであるが、特殊カメラの為、映画館が個々に70ミリ用の大きなスクリーンと映写機に取り付けるレンズを買わなければならなかった。当時の不況から各館とも出費を極端に嫌う傾向があり、観客も同時に特殊カメラだの、映画の革命はどうでも良くて、まずは、そう云った映画鑑賞等の娯楽費が削られていたからであった。1930年代前半の不況の為、ジョン・ウェインは、初主演作で華々しいデビューと云う訳にはいかなかった様である。

 

ビッグ・トレィル

製作 Winfield R. Sheehan
(クレジット無し)
監督 ラオール・ウォルッシュ
ルイス・L・レフラー
脚本 ジャック・ピーボディ
ハル・G・エバート他
出演 ジョン・ウェイン・・・・・・・・・・・・・ブリック・コールマン(幌馬車隊スカウト)
マーガレット・チャーチル・・・・・ルース・キャメロン

 

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